1-2.現状維持は衰退、ソコソコはジリ貧

かつての憧れは「蔵間的人生」
 かつて「蔵間~くらま~」というお相撲さんがいたこと、覚えていますか? 一九九五年に四十二歳で
急逝したため、若い方はご存知ないかもしれませんね。時津風部屋に入門し、一九六八年から
一九八九年までの二十一年間、現役生活を送りました。
 大の相撲ファンだった昭和天皇も蔵間はお気に入り力士の一人だったそうです。
 ある時、当時の春日野理事長が昭和天皇に「蔵間は大関になります」と解説したそうです。
ところが理事長の予想に反して、蔵間は大関にならなかった。常に善戦マンで大きく勝ち越す
ことがなく、とうとう関脇までしか番付を上げることができなかったんですね。
 昭和天皇もこれが歯がゆかったか、「蔵間、大関にならないね」とこぼし、春日野理事長は「私
は陛下に嘘を申し上げました」と言って謝罪。理事長はその後蔵間を理事長室へ呼んで叱責し
たという逸話があるとか(笑)。
 大関にはなれなかった蔵間ですが、長く幕内力士として活躍しました。「大器」としては物足りないけれど、幕内中位に腰を据え、ソコソコのポジションを長く続け、さらに長身・美形
で人気もある蔵間のような生き方は「蔵間的人生」といわれ、多くの力士の憧れだったそうで
す。
 「蔵間的人生」が魅力的だったのは力士だけでなかったそうです。当時、多くの人が憧れた
人生だった、という話も聞きました(真相はわかりませんが)。
 蔵間が活躍した一九七〇年代から一九八〇年代にかけて、日本は経済大国に向けて大きな成
長を続けていました。私が社会人になったのはまさに高度成長期、昭和四〇年代でしたが、初
任給は安くても、給料はまるで倍・倍ゲームのように上がっていきました。実際、前年比で給
与が二倍になる、なんてこともありましたね。
 よく、「高度成長期の日本人は優秀で、誰もが頑張っていた」という人がいますが、それな
ら「蔵間的人生」が流行するわけがない、ですよね(笑)。
 その、優秀で誰もが頑張っていた時代? を生きてきた私としては、「優秀で頑張っていた
人も、中にはいました」というのが正直な感想(笑)。たまたま世の中全体が上り調子だった
ときに、社会人として活躍できたに過ぎないと思っています。
 経済が成長している局面では、サラリーマンでも自営業者でも、ソコソコ頑張っていればソコソコ商売することができました。ところが、残念ながらこれからの経済は下り局面に入る可
能性が高い。そうなると、ソコソコをキープしていてもジリ貧になる一方です。現状維持でき
ても、日本のGDP自体が下がり局面では衰退を意味します。ましてや、縮小均衡でいい、な
んて論外です。
 かつて、日本には「いい会社」がありました。
 たとえば、国鉄(日本国有鉄道)。民間企業と比べて格段に充実した福利厚生など、「国鉄は
『いい会社』だね」なんていわれたことがありました。ところがご承知のとおり、国鉄は
一九八七年に民営化、廃止され、JRグループ各社および関係法人に事業承継されました。
 また、JAL(日本航空)も「いい会社」の一つです。昔、JALの職員が、勤務時間中に
国際電話を使って出し合った「なぞなぞ」が面白く、「JALのなぞなぞ」といわれて流行し
た時期がありました。本まで出ていたように思います(笑)。
 当時の国際電話は非常に高かったため、「高価な国際電話を使って、しかも勤務中になぞな
ぞができる会社って、何て『いい会社』なんだろう」と思った一方で、こんなことをしている
企業は本当に大丈夫なのだろうか、とも思いました。
 ここは私の予想が当たって、JALは二〇一〇年に会社更生法の適用を受けました。こうした「いい企業」では、充実した年金制度や福利厚生などが整っており、ソコソコ頑張っ
ていればそれなりに幸せな人生が送れたはずでした。ところが現在では、「いい会社」が次々
と淘汰されつつあるように思います。
 ソコソコをキープして幸せをめざす「蔵間的人生」は、経済が下り局面では生き残れない。
それは、人も企業も同じだと思います。
常に社員と自分に語りかける
 とはいえ、「蔵間的人生」は未だ多くの人にとって魅力的であることは間違いありません。
必要以上に頑張りたくない。私も含めて(笑)そう思う人が多いのではないでしょうか。
 ですから「ソコソコではジリ貧、現状維持では衰退の一途をたどる」ということは、社員に
対して、さらに自分に対しても常に語りかけていくべきだ、と思います。
 理想はドイツのシュリーマン的人生、でしょうか。私財を投じて発掘を続け、ついに
一八七〇年にトロイ遺跡を発掘したことは、自叙伝『古代への情熱―シュリーマン自伝』とい
う本にもなりました。
 元々、シュリーマンは考古学者ではなく、事業家でした。オランダの貿易会社への入社を出発点に、ロシアのサンクトペテルブルクやゴールドラッシュに沸くカリフォルニア州サクラメ
ントなどに商社を設立し、成功を収めます。またクリミア戦争時にはロシアに武器を密輸する
など、巨万の富を築いたとか。非常に商才のある人だったそうです。
 四十二歳ですべての事業を清算し考古学者としての第一歩を踏み出しました。自叙伝による
と「幼少のころにホメロスの『イーリアス』に感動したのがトロイア発掘を志したきっかけ」
だそうです。当時の考古学者の間では「イーリアス」はホメロスの作り話だとする考えが主流
だったそうですが、シュリーマンはそうは思っていなかった。
 そして事業で得た財産を惜しみなく発掘につぎ込んだ結果が世紀の大発見につながった、と
いうことも、自叙伝に詳しく書いてあります。
 ギムナジウムに入学するも、貧困のため中退せざるを得なかったシュリーマンが、事業で大
成功を収めるまでには、天賦の商才だけでなく大変な努力もしたと思います。
 ビジネスでがむしゃらに頑張って、思う存分趣味の世界に生きるのは引退してから。(そし
てあわよくば歴史に残る大発見をする)という人生にあこがれる向きもあります。
 ところが、今の時代はそれでは生き残れないかもしれないということを感じた一言がありま
した。二〇一〇年にフォルクスワーゲン(VW)と
包括提携し、自動車メーカーのグループとして
トヨタを上回り世界最大となったスズキの鈴木
修会長の口癖です。
 「死んだら有給休暇はいくらでも取れる」
 つまり、死ぬまで現役で働き続けろ、という
ことですね。
 鈴木会長は一九七八年に四十八歳で社長に就
任し、その三年後に当時世界トップのGMとの
提携を成立させました。二〇一〇年にGMが経
営破綻した後、提携のアプローチをしてきたV
Wと提携。出資比率などでほとんどスズキの望
むとおりの条件を引き出したのは、ひとえに鈴
木会長の老練な交渉手腕と変わり身の早さが
あってこそ、といわれています。かねてからGMとスズキの関係を「鯨と蚊」(鯨とメダカではメダカは鯨に飲み込まれてし
まう。蚊なら空を飛んで飲み込まれない)と例えていた鈴木会長。この「鯨の周りを飛び回る」
芸当は鈴木会長の一代芸で継承はほとんど困難とされています。(注1)
 鈴木会長は今年、二〇一一年で八一歳。後継者育成も含めて、死ぬまで経営者として走り続
けることでしょう。そして生涯現役であり続ける鈴木会長の姿勢があればこそ、スズキを世界
ナンバーワンの自動車グループに押し上げたのかもしれません。
 いまや、現役の時に頑張り、引退した後趣味の世界に没頭する、という生き方も夢のような
話なのかもしれません。本当に、厳しい世の中になったものです。
(注1)鈴木修インタビュー、「最大の危機をチャンスに変えた」、『選択』二〇一〇年一月号

経済が下り局面の現代では、ソコソコではジリ貧、現状維
持では衰退の一途をたどることを、社員と経営者自身に常
に語りかけることが重要。